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18
2003

ある掲示板に投稿されなかった文章

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性病ですか?(泣)
ところで私、娘。を想像で愛した時の記録(回数別にランキング)を
付けているのですが、これはマジで萌えメンバー順と一致します。
だって一位が加護ちゃんで247回です。これは運命です!!!

僕が気になるのは、一致しないメンバーのこと。

まず一つ目。
普段りかっちのことはそんなに考えていないのに、217回で2位です。
そして、二つ目。
明らかによっすぃーのことを考えている事が一番目か二番目に多いのに、
84回で4位なのです。これは一体どういうことなのでしょうか?
圭ちゃんの56回だって、少なすぎると思います。



思ったのですが、恋人として女性を見られるのは三年が限度と言う説が
あるそうです。それ以降になると、生物学的に性的魅力が薄れていくと。
もしかして圭ちゃんにあまりに長い間萌えすぎて、もう夫婦みたいに
身体が勘違いしてしまったのでしょうか。そういえば私も昔彼女などと
いうものがあったような気がしますが、三年目というのはかなりマンネリ
だった気がします。四年目に盛り返したりしたんですが(照)。で、その後
振られたんですが(泣)。

つまり、私は圭ちゃんと夫婦だとずっと思い込んでいたのかも知れない、と。
そういう可能性もある、と。そういえば、オフやイベント帰りなどで朝まで
飲んだくれ、もうボロボロになった時に決まって浮かんでくるのは、「圭ち
ゃんが車で迎えに来てくれる妄想」です。これはなぜか理由なくふっ、と頭に
浮かんできます。そして、なぜか本当に迎えに来てくれるような空気が身の
周りに感じられるのです。もちろん理性はそれを否定し、その否定にまた
自意識はショックを受け、傷つけられたりする訳ですが、要するに、自慰や
妄想だけでその人をそこまで愛してしまうことができてしまう訳なのですね。

そして、そこから導き出される一番の問題は圭ちゃんが私の存在を知らないと
言うことにあります。いくら愛しても、三年目を迎えたかのように錯覚しても、
圭ちゃんは私の事を知らないのです。もし彼女がこのような文章を見たら、
彼女は私を気持ち悪いと思うでしょう。何も知らない人が自分に対して異常な
感情を、過剰に抱いてしまっている訳ですから。

そして、私も圭ちゃんの事を知るには限度があると言うことです。
テレビやラジオやコンサートやイベントや、雑誌やまたは噂話や、そのような
面からしか彼女を妄想することができません。それが間違っているか、正しい
のかは、彼女に会うまで分かりません。しかし、現実の圭ちゃんと自分の妄想
の圭ちゃんがクロスする瞬間は確実にあります。

その瞬間は、はっきりとした言葉だったり、息づかいだったり、また、圭ちゃ
んに萌えてない人には全く意味のない、単なるテレビで映った自転車を漕いで
いる後ろ姿だったりします。また、それは圭ちゃんとは何の関係もないメロデ
ィーの一節だったりもします。

クロスした、と感じた時がクロスした時なのです。根拠は無いのです。
ここでもまた自分を信じる事しかできません。

しかし、そのクロスした瞬間私が感じるのは、心地よさや安心「だけ」なのです。
それはきっと、何の疑いようも無い私の「真実」とも呼ぶべきものかも知れません。



私は、人と話すのが苦手です。
人が私に答えを求める時、私は「とにかく速く、それに答えなければならない」
と言う想念に支配されてしまいます。それを処理できぬ内に次の答えを求められ、
そしてまた次の答えを求められ…と言う状況に陥ると、私はパニック状態に陥ります。

自分が自分で無くなってしまったかのような、自分の全てが間違っているかのような
妄想に支配されて行きます。そういう時私に取って重要なのは、どんなに意味不明でも
支離滅裂でも、それを言葉にし、かたちにすることです。それを整理することです。
まず、不安を抑え込んでしまう事です。

私はたぶん、自分の一番奥の方に「私は全て間違っているのかも知れない」と言う
妄想を抱え込んでいるのかも知れません。実際に、私は間違っているのかも知れません。



しかし、この一方通行な恋愛においては、私はある意味では間違いは存在しない
のではないか、と思っているのです。例えばそれが理不尽に奪われた時、私は理不
尽に泣き叫ぶしか無いと思うのです。例え、それがどんなに醜く見えようとも。

私はここが、この位置が、その理不尽な力に反抗すべき最後の砦だと思っています。



それと同時に、全体の中からいくつかの良い風を感じているのもまた事実です。
「彼ら」の中でもまた、壮絶な綱引きが行われているのかも知れません。

これが終焉ならば。理不尽な力による無意味な虐殺の終焉ならば、私は全てを
納得してしまうかも知れない。そして、彼女が無意識の世界でその終焉のため
に身を投げ打ったとするならば、私はそれに対して何の言葉を持つこともできません。

ある種の光景はただ胸を打ち、そして胸の奥に残り、そこで渾沌をかきまぜ続けます。
それは多分、我々の胸の内にしまい、生きていくことでしか処理できない種類のものです。

ごめんなさい。もうこれ以上は何も言えません。



…こんなことを書く必要も無く、また恋に夢中になれる日がやってくると良いですね。