今さらの話
Buono!のイベントが今までのように℃-uteと同日同ハコ開催ではなくなったことに
関して、友人のMixiの日記に「℃の寄生解除万歳」と書かれていた。
冗談とは言えいくらなんでも「寄生」呼ばわりはないだろうと思う。
そりゃ自分だって別々にやってくれた方がいいと思うけど、そんな言い方ってない。
(こうした、主に2chで使われるいくつかの酷い表現にどうしても耐えられない)
昔WとBerryzが合同コンをしていた頃、僕も別々にやって欲しくてたまらなくて毎日
歯がゆい思いをして日記を書いていたが、寄生などということは言わなかったし、
Wが好きな人達の気分を害することがないようになるべく努力してきた。
だから、このような表現を見て僕はどうしても「ネタ」で済ますことができないし、
激しい不快感を覚える。それに乗って調子の良い書き込みをしている友人を見て
さらに失望した。が、人間関係を気にして当たり障りのないけん制的な書き込み
しかできない自分も嫌だ。
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友人関係についてのことは、キッズに夢中になり出した時からずっと考えていて。
キッズに決定的に夢中になったのは2004年2月7日のキッズFCツアーの時で、その時
僕の近い友人にはキッズヲタは誰も居なかった。僕はイベントが終わった時、感動
に打ち震えていた。あまりの無垢さに。無防備さに。純真さに。
僕はすぐさま娘。ヲタの仲間達に電話をかけ、イベントの感動を伝えた。
それからも僕はことあるごとにキッズの素晴らしさを友達に話し続けた。お勧めの
動画から、それまであまり熱心ではなかったデータ収集まで、僕はキッズの情報を
集めては自宅で「キッズゼミ」を開いた。僕はあのイベントの感動を共有しあえる
仲間を何よりも求めていたのだ。
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何人かの友人とはそれがきっかけで以前よりも仲良くなった。
しかし、何人かの友人はある一線からキッズ側には決して近寄っては来なかった。
僕が娘。ヲタだった頃、もっとも共感を抱いていた仲間達だった。
娘。ヲタだった僕が僕が急激にキッズヲタに変化しすぎたせいかも知れない。
あまりに急激にぱたっと娘。のことについて語らなくなったからかも知れない。
あるいは、僕の友達によるBerryzと娘。の比較に関するいささか配慮を欠いた不適当
な発言かも知れない。それとも、そんなあの頃の空気全てかも知れない。
今になって正直に言えば、あの頃僕は、娘。を取り巻く状況について少しずつうんざ
りし始めていた。期待しても期待しても「本当に」求める楽曲は提供されず、コンサ
ートでは毎回脱退の発表に脅え、正直楽しさよりも苦痛の方が多かった。いつまで
こんなことを続けるんだろう、と思った。
そんな中で出会ったキッズはまさに太陽のようだった。
キッズのことを考えるだけで胸が躍り、ときめいた。イベントに行く度、新曲を聴く
度、ラジオを聴く度その思いは強くなった。僕にはキッズしかいないと思うように
なった。しかし一方で、そのようなある種の宗教的感情が湧き上がる度、僕は昔に
娘。のことを語り合った友人達のことを思い出していた。
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その頃はまだまだキッズのことをバカにする発言も度々耳にする頃で、そのような
発言を聞く度に僕は激しく苛ついた。娘。を完全に上に見てキッズを見下すという
ある種の人々の態度を見る度に、僕の心は余計に娘。から離れていった。そういう
体験をしているだけに、僕は娘。に対しては沈黙するしかなかった。僕は余計な対
立構図を作りたくなかった。娘。に対してネガティブな感想を抱いても、キッズと
の比較言及だけは避けるようにした。
しかし、娘。ヲタの友人との溝は次第に拡がっていった。
その頃はまだ僕らのスモール・サークルではチャットというツールがコミュニケー
ションの主であり、そのような双方向的なアクションが求められる場では、僕のち
っぽけな気遣いは何の役にも立たなかった。キッズのことを話す側と話さない側に
完全に別れてしまったのだ。次第にチャットは沈黙へと向かい、ほとんど誰も話さ
なくなった。
僕はそれからもなるべくキッズのことを伝えるべく努力したが、彼らがキッズに
(ある一線以上に)興味を示すことはもうなかった。ささいなことがきっかけで、
いくつかのつまらないやりとりがあり、ささやかな和解があり、長い(とてつもな
く長い)冷却期間を経て、現在の(割と)クールな関係に至っている。
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その間、僕もただそのスモール・サークルだけにいた訳ではなく、色々な人に出会
った。写真厨、反応厨、愛すべき数々の変人ヲタ。彼らから影響を受け、様々な現
場の楽しみ方や視点を知った。
昔はまるでわからなかったパート割やセンターなどというアイヲタ的概念その他も
僕なりに理解するようになった。そのような経験によって視野が広がり(狭まり)、
昔だったら話さなかったような人達ともコミュニケートするようになり、退屈に
満ちた日常を送る僕の大きな刺激になっている。
昔ほど密ではないにせよ、キッズへの感情を共有できる友達もできた。
昔ほど熱心ではないにせよ、僕はキッズのことが好きで。15人のキッズはもう揃う
ことはないけれど、それぞれ元気に活動していて、合同コンサートもできて。
僕は幸せだと思う。
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だけど、僕は最初に書いたような友人の発言を目にする時、昔のことを懐かしく思う。
あの時、僕の友人達が同じ会場にいて、同じ体験をしていたらどうなっただろうと思う。
あるいは彼らは感動しなかったかも知れない。しかし、少なくとも今とは違っていたか
も知れない。
ある種の思いは、ある種の人間同士の言葉で語られない限り、所在なく浮遊し続ける。
この4年の間に「本当は彼らとの間で語られるべきだった」言葉は消滅してしまった。
僕はそれをもう思い出すこともできないけど、それはまだ感覚として強く残っている。
僕の身体の中の深い場所に。
