精神荒廃
かなり精神が荒廃しているので、仕事から帰って泥酔しながら
写真をいじってみました。
居場所の無さを、年々感じるようになってきています。
例えば数年前のように、物語として対象を語り得る友達は少なく
なっているし、僕もどんどん即物的になっています。それでも
僕はやはりあの頃の彼らの愛し方を覚えていて、その愛し方と
美しさ、そしてまた、その2人の関係を遠くから見た時の美し
さ故に未だにどこにも行けないのかも知れません。
その美しさを、愛を共有することはかつて、僕にとって大きな
喜びでした。しかし、年を経るにつれ段々とそのような感覚を
覚えることは少なくなっていきました。そのような共有の場(あ
るいはそれは僕の幻想なのかも知れませんが)に巡り会う幸運も
ありましたが、常にどこかに違和感があり、常にどこかに引っ
かかりがありました。それはとても小さいようなものでありな
がら、僕の意識の中で存在感をむくむくと大きくしていきま
した。そのまま、時だけが過ぎていきました。とても早く。
□
たぶん、そういう時代が完全に終わったのだと言うことを、
鈍感な僕はやっと理解したのだと思います。僕がいくらBerryz
や℃-uteの素晴らしさを語れたとしても、もう誰ともあの頃の
ように話し合えることはないのでしょう。
□
僕自身も変わり、ハローを取り巻く状況も変わりました。
だけど、僕は2004年2月7日に感じたものと全く同じ感動を
℃-uteに感じているのです。そして僕はあの時、できること
ならあなた達にもそれを感じて欲しかったのです。それが、
ずっと、ずっと僕が思っていたことです。
僕はこれから益々独りになるでしょう。
その前に、なんだかふと、そんなことを言いたくなりました。
写真をいじってみました。
居場所の無さを、年々感じるようになってきています。
例えば数年前のように、物語として対象を語り得る友達は少なく
なっているし、僕もどんどん即物的になっています。それでも
僕はやはりあの頃の彼らの愛し方を覚えていて、その愛し方と
美しさ、そしてまた、その2人の関係を遠くから見た時の美し
さ故に未だにどこにも行けないのかも知れません。
その美しさを、愛を共有することはかつて、僕にとって大きな
喜びでした。しかし、年を経るにつれ段々とそのような感覚を
覚えることは少なくなっていきました。そのような共有の場(あ
るいはそれは僕の幻想なのかも知れませんが)に巡り会う幸運も
ありましたが、常にどこかに違和感があり、常にどこかに引っ
かかりがありました。それはとても小さいようなものでありな
がら、僕の意識の中で存在感をむくむくと大きくしていきま
した。そのまま、時だけが過ぎていきました。とても早く。
□
たぶん、そういう時代が完全に終わったのだと言うことを、
鈍感な僕はやっと理解したのだと思います。僕がいくらBerryz
や℃-uteの素晴らしさを語れたとしても、もう誰ともあの頃の
ように話し合えることはないのでしょう。
□
僕自身も変わり、ハローを取り巻く状況も変わりました。
だけど、僕は2004年2月7日に感じたものと全く同じ感動を
℃-uteに感じているのです。そして僕はあの時、できること
ならあなた達にもそれを感じて欲しかったのです。それが、
ずっと、ずっと僕が思っていたことです。
僕はこれから益々独りになるでしょう。
その前に、なんだかふと、そんなことを言いたくなりました。