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31
2005

取り止めの無さすぎる独り言

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僕が求めているのは、文章力や論理構成能力、評論家的なそれでは
決して無く、文から滲み出るセンス、人柄。その魅力や、親しみや
すさや、そう言った曖昧なものなのだと思った。

BloglinesやMixiや、便利なツールが増えて来るに連れ、色々な人の
日記やなんやかやを目にすることが多くなってきて、改めてそう思
った。評論的な文体と言っても、それが全て嫌いな訳でも無く、例
えば(ハロプロのことを書いている訳ではないけど)ウツボさんの日記
なんかはその姿勢自体がセンスとして立脚しているから僕は好きなの
だと思う(Mixiの方もいつも楽しみに見てます!)。

そういう意味で久しぶりに(本当に久しぶりに!)センスを感じたのは
やはりYさんだった。変態的姿勢へ傾いている僕が彼に魅力を感じる
のは当然なのかも知れない(いや、僕は男色の趣味はありませんからね(泣))。

しかし、ハローの文脈に寄りかからずにこれだけ変態を貫いている事
は、僕は本当にかっこいいと思う。どうしようもない孤独と現実との
折り合いと、その中で見つける一握りの希望と。そして自虐。

自虐はセンスが無ければ見るも無惨なものになる。
例えば、本当は自虐の「虐」の字も感じたことの無いクソ野郎ども。





本当に魅力的なものや大切なものは、いつも小さな相互的コミュニケー
ションの中から生まれるような気がする。Yさんの掲示板を見ていると、
あまりに異次元な割り切った会話ばかりで少々驚いてしまうのだけど(笑)、
そこに自然に含まれる自虐も含めて、それは彼らの自然な、小さなコミ
ュニケーションなのだろう。


そして、僕はそれとは正反対の「予め大きな効果を狙って作られたもの」が嫌いだ。





僕の属す小さなコミュニティも、キッズ以降、前よりも密度のようなもの
が下がったことは間違いない。しかし、彼らのテキストに刺激されること
に変わりはなく、会話に刺激されることにも変わりはないのだ。





Mixiの、ゴミのようなレスの絶え間ない交換を見ていると切なくなる。
全てが即物的に感じられる。





僕自身も即物的な快感にどっぷりと漬かっている人間だけど、ずっと同じ
ことを考え続けている内に、色々なことに気づきだした。

愛しさはどこまでも膨れあがっていくこと。
憎しみもどこまでも膨れあがっていくこと。
僕は、僕の中の友理ちゃんを愛することしか出来ないということ。

友達の言葉や行動。それに自分とは全く別の愛を感じること。
それに刺激されること。共通の、根底にあるものを想像すること。





オカール、打ちひしがれた友理ちゃんを慰めてやっておくれ…。

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