ノノ∂_∂'ル < チャラチャラチャラチャラ♪
皆さん、お疲れ様でした。急にもかかわらずお疲れ様でした!
僕らはみんな雅ちゃんの奴隷なのであります。
チャラチャラチャラチャラ♪してることを批判されているの
であります。「なりなさい」というのは、奴隷になりなさい
ということなのであります。揺るぎない雅ちゃんに対抗し得
るのは、やはり最後の茉麻のにぎやかししか無いのであります。
あんな曲でこれだけ見せるって、やっぱりBerryzってすごいよ!
桃子のウザさ全開、髪を切ったちなこ、州*‘ o‘リ百裂拳……。
この言葉が通じなくとも、我々はまたBerryzと一つ何かを共有
したのであります。もはや私の意識は世間で言うところのキチガ
イに近く、それはひどく酔っているせいなのかも知れませんが、
この「スッペシャル・ジェネレーション」という酷く最悪な楽曲に
身を任せているのが最高に心地よく、「どうたらこうたら言い訳
してる イライラくるなぁ」と言う歌詞が、雅ちゃんからのメッセージ
ではないかと思う訳なのであります。
異世界の住人であることを改めて感じながら、しかし改めて
もっとBerryzのことを好きになりました。梨沙子の声を、雅ちゃん
の声を聴く度背筋が震えます。桃子の声を聴く度腹が立ち、友理
ちゃんの声を聴き混乱します。
僕は何年か前、終電を間違えて池袋止まりで困っていた時期が
あります。バカだから、何回失敗しても気づかないのです。鶯谷
などという白けた駅にも愛は永遠なのでしょうか。
僕はできればこんな駅にはBerryzに永遠に来て欲しくありません。
でも、とても会いたいです。梨沙子に百裂拳を喰らいたくてたまり
ません。その、百裂拳を喰らう場の、僕の頭の中と現実において
の違和感についてもうとっくに分かっていなければならないのです
が、僕は、それでもそこに行くことをどこかで望んでいるのです。
みんなが帰った後の部屋で、Berryzの歌声を聞いていると気が
狂いそうになります。或いは、僕はこういう事を何度も繰り返し言
っているし、実際気がかなり狂っているのかも知れません。
しかし、このおはスタで見たBerryzについて、僕はそれについて
考えずにはいられませんでした。まるでそのまま酒を飲むように
梨沙子の声や、雅ちゃんの声が身に染み渡っていくのです。
このどうしようもないDQNグルーヴが。
梨沙子が百裂拳をする瞬間、僕の全ての価値が崩れていくのを
感じます。僕は全て恋愛という価値にキッズやBerryzを結びつけ
て来ましたが、この朝の瞬間には、梨沙子という動物の、雅ちゃ
んという動物の悲しい鳴き声を感じることしかできません。
僕は、梨沙子の生理のようなものに触れたいのだと思います。
でも、そんなものに一生触れることはできないのかも知れません。
この、モニタの前でリピートしている瞬間こそが永遠の愛なのかも。
いつもを上回る論理、整合性ゼロの日記を書きながら、とても心地
よいものを感じます。僕は解放されています。頭の中に梨沙子や
雅ちゃんや、桃子の声が波長として流れていて、それがとても心地
よいのです。「余所見なんて許さないわよ」とか、「好きと言いなさい」
とか言われて、その後に百裂拳をされることが、何よりの快楽に思え
ます。しかし、いい加減このアルコール中毒のような酷い日記を僕は
止めなくてはいけません。もう最後の再生です。
「離れない離さない」という桃子の声にどうしようもない呪縛と絶望と
陶酔を感じます。友理ちゃんが「また明日も愛して」と言いました。
友理ちゃんの純真や、梨沙子や雅ちゃんの野生や、桃子の狂気的な求
心力を前に、僕はもうこの日記をどうしていいのかも分かりません。
とにかく、桃子は「孤独など感じない」と言いました。
孤独など感じない。孤独など、感じない。本当に感じない。
疑念を超えたこの瞬間に、Berryzに対する気持ちをずっと書き続けたく
なる。だけど、もうやめる。最後の再生だと言ってもう何回再生したか
分からない。
州*‘ o‘リ < この場で!!!!!! 100万年過ぎたって!!!!!!
僕らはみんな雅ちゃんの奴隷なのであります。
チャラチャラチャラチャラ♪してることを批判されているの
であります。「なりなさい」というのは、奴隷になりなさい
ということなのであります。揺るぎない雅ちゃんに対抗し得
るのは、やはり最後の茉麻のにぎやかししか無いのであります。
あんな曲でこれだけ見せるって、やっぱりBerryzってすごいよ!
桃子のウザさ全開、髪を切ったちなこ、州*‘ o‘リ百裂拳……。
この言葉が通じなくとも、我々はまたBerryzと一つ何かを共有
したのであります。もはや私の意識は世間で言うところのキチガ
イに近く、それはひどく酔っているせいなのかも知れませんが、
この「スッペシャル・ジェネレーション」という酷く最悪な楽曲に
身を任せているのが最高に心地よく、「どうたらこうたら言い訳
してる イライラくるなぁ」と言う歌詞が、雅ちゃんからのメッセージ
ではないかと思う訳なのであります。
異世界の住人であることを改めて感じながら、しかし改めて
もっとBerryzのことを好きになりました。梨沙子の声を、雅ちゃん
の声を聴く度背筋が震えます。桃子の声を聴く度腹が立ち、友理
ちゃんの声を聴き混乱します。
僕は何年か前、終電を間違えて池袋止まりで困っていた時期が
あります。バカだから、何回失敗しても気づかないのです。鶯谷
などという白けた駅にも愛は永遠なのでしょうか。
僕はできればこんな駅にはBerryzに永遠に来て欲しくありません。
でも、とても会いたいです。梨沙子に百裂拳を喰らいたくてたまり
ません。その、百裂拳を喰らう場の、僕の頭の中と現実において
の違和感についてもうとっくに分かっていなければならないのです
が、僕は、それでもそこに行くことをどこかで望んでいるのです。
みんなが帰った後の部屋で、Berryzの歌声を聞いていると気が
狂いそうになります。或いは、僕はこういう事を何度も繰り返し言
っているし、実際気がかなり狂っているのかも知れません。
しかし、このおはスタで見たBerryzについて、僕はそれについて
考えずにはいられませんでした。まるでそのまま酒を飲むように
梨沙子の声や、雅ちゃんの声が身に染み渡っていくのです。
このどうしようもないDQNグルーヴが。
梨沙子が百裂拳をする瞬間、僕の全ての価値が崩れていくのを
感じます。僕は全て恋愛という価値にキッズやBerryzを結びつけ
て来ましたが、この朝の瞬間には、梨沙子という動物の、雅ちゃ
んという動物の悲しい鳴き声を感じることしかできません。
僕は、梨沙子の生理のようなものに触れたいのだと思います。
でも、そんなものに一生触れることはできないのかも知れません。
この、モニタの前でリピートしている瞬間こそが永遠の愛なのかも。
いつもを上回る論理、整合性ゼロの日記を書きながら、とても心地
よいものを感じます。僕は解放されています。頭の中に梨沙子や
雅ちゃんや、桃子の声が波長として流れていて、それがとても心地
よいのです。「余所見なんて許さないわよ」とか、「好きと言いなさい」
とか言われて、その後に百裂拳をされることが、何よりの快楽に思え
ます。しかし、いい加減このアルコール中毒のような酷い日記を僕は
止めなくてはいけません。もう最後の再生です。
「離れない離さない」という桃子の声にどうしようもない呪縛と絶望と
陶酔を感じます。友理ちゃんが「また明日も愛して」と言いました。
友理ちゃんの純真や、梨沙子や雅ちゃんの野生や、桃子の狂気的な求
心力を前に、僕はもうこの日記をどうしていいのかも分かりません。
とにかく、桃子は「孤独など感じない」と言いました。
孤独など感じない。孤独など、感じない。本当に感じない。
疑念を超えたこの瞬間に、Berryzに対する気持ちをずっと書き続けたく
なる。だけど、もうやめる。最後の再生だと言ってもう何回再生したか
分からない。
州*‘ o‘リ < この場で!!!!!! 100万年過ぎたって!!!!!!