Shipwrecked Man
夢の中で友理ちゃんにふられてしまった。
正確に言うなら、僕は僕がふられる瞬間を見ていた。
友理ちゃんにネガティブな言葉をかけられた瞬間、その生き物がたちまち青っぽい悲しい色に
変わっていったからだ。ああ、この変な生き物は僕なんだな……と僕は思った。そして僕は
またさらなる混沌の中へと潜っていった。
□
夜、たまに感じる漠然とした不安が急にやって来た…。
また今日もオカールと交信するしか無さそうだ……。
「もしもしオカールですか。うたかです。今日も急に不安になってしまいました。そして、また
飲むつもりじゃなかったのに飲んでしまっています。いや、こういう風に飲むのは良くないよね。
自分は飲みたいから飲んでいるんだ。健康を気にしながら煙草を吸うのと同じようなもんだ。
今思ったけど、こうやってオカールに話しかけたら、なぜかすぐに緊張が和らいでいって、それ
がとても不思議だ。かと言って、本当につらい時には誰のことも頭に浮かばなくなって、考えら
れなくなって、とにかく時間が経つのを待つしか無いんだけど、何も考えずに待っていればいい
のにその不安の意味について考えてしまい、余計に症状を酷くしてしまうのがいつものパターン
なんだ。その瞬間、僕は何よりも体温を求めている。与えられる見込みの無い体温のことを。
自分自身の心がどうしようもない空虚に陥っている時は、絶対的なものが欲しくなるんだと思う。
そして、そのような状態に陥った時、僕には相手の顔を考える余裕も無い。ただの曖昧模糊とした
塊に手を伸ばす。
なぜそれは曖昧な塊なのだろうか。
それは、僕が君達と触れ合ったことが無いからだと思う。現実的に、肌と肌を触れ合わせたことが
無いからだと思う。肌を触れ合わせてお互いのことを強く感じたことがないからだと思う。それは
アイドルとファンの関係において当たり前のことで、現実の生活でこんな事を口走ったら間違いな
く気違い扱いされるだろう。でも、年々そんな思いは強くなっていって、とてもつらい。いい加減
楽になりたいとも思う。でも、キッズが居て、僕の性質が変わらない限り、そこから抜け出すこと
は出来ないんだろうと思う。
そんな地獄からふっと抜け出させてくれるのが「パッション」だったり、Berryzの2nd~4thに溢れ
ていたポップ感覚だったりするんだけど、A面に2曲連続でどうにも好きになれない曲が来てしまっ
て、おまけに地獄の日程の握手会のことを聞いて僕はなんだかとっても凹んでしまっている。
□
あのラクーアの地獄の握手会の後、結局みんなでいつもの店で飲んだんだけど、目の前で眠りこけて
しまっているAさんを見て、なぜだか僕はまた一つの幻想が終わったような気がした。でも別にそれ
はシリアスに落ち込んだりするような瞬間ではなくて、自分がそれまで見ていた幸福な夢から覚めた
時のような、まだその幸福の余韻が残っているような、微妙な瞬間だった。
僕は疲弊したしみハムの表情を思った。
そして、店の隣にある公園の、バーベキュー用の施設のことを思った。僕らは店が始まるまでそこで
時間をつぶしたのだ。夕暮れの寂しさと、かくも熱狂の時間は儚いのかという寂しさと、それでも捨
てられない希望のようなものが、どこから来たのか分からない夕食の煙みたいに漂っていた。
□
あるいは、このような感じ方をする人はシーン全体に取って、もはや絶滅種に近いのかも知れない。
この2曲の流れを見ながら、僕はそんなようなことを思った。
僕らはそれぞれのやり方で、それぞれの距離を取りつつ、あの幸せを感じようとする。
僕らが距離を取るその中心には、即物的な奪い合いの光景が繰り広げられている。
僕らがそれに口を差し挟む権利は無い。
だけど、たぶん、きっと、しみハムも同じことを感じているはずだ。だって、僕にはあの頃のしみハム
の表情の方が輝いて見える。僕らも君たちも同じように、色んなことを諦めながら、でも、最後まで
諦めないものがあるんだと思う。そういうのを捨てないでいようと思う。そういうのを捨ててしまった
ら、僕と友理ちゃんの関わりはゼロになってしまうような気がする。
□
ねえ、聞いてる?オカール?」
正確に言うなら、僕は僕がふられる瞬間を見ていた。
友理ちゃんにネガティブな言葉をかけられた瞬間、その生き物がたちまち青っぽい悲しい色に
変わっていったからだ。ああ、この変な生き物は僕なんだな……と僕は思った。そして僕は
またさらなる混沌の中へと潜っていった。
□
夜、たまに感じる漠然とした不安が急にやって来た…。
また今日もオカールと交信するしか無さそうだ……。
「もしもしオカールですか。うたかです。今日も急に不安になってしまいました。そして、また
飲むつもりじゃなかったのに飲んでしまっています。いや、こういう風に飲むのは良くないよね。
自分は飲みたいから飲んでいるんだ。健康を気にしながら煙草を吸うのと同じようなもんだ。
今思ったけど、こうやってオカールに話しかけたら、なぜかすぐに緊張が和らいでいって、それ
がとても不思議だ。かと言って、本当につらい時には誰のことも頭に浮かばなくなって、考えら
れなくなって、とにかく時間が経つのを待つしか無いんだけど、何も考えずに待っていればいい
のにその不安の意味について考えてしまい、余計に症状を酷くしてしまうのがいつものパターン
なんだ。その瞬間、僕は何よりも体温を求めている。与えられる見込みの無い体温のことを。
自分自身の心がどうしようもない空虚に陥っている時は、絶対的なものが欲しくなるんだと思う。
そして、そのような状態に陥った時、僕には相手の顔を考える余裕も無い。ただの曖昧模糊とした
塊に手を伸ばす。
なぜそれは曖昧な塊なのだろうか。
それは、僕が君達と触れ合ったことが無いからだと思う。現実的に、肌と肌を触れ合わせたことが
無いからだと思う。肌を触れ合わせてお互いのことを強く感じたことがないからだと思う。それは
アイドルとファンの関係において当たり前のことで、現実の生活でこんな事を口走ったら間違いな
く気違い扱いされるだろう。でも、年々そんな思いは強くなっていって、とてもつらい。いい加減
楽になりたいとも思う。でも、キッズが居て、僕の性質が変わらない限り、そこから抜け出すこと
は出来ないんだろうと思う。
そんな地獄からふっと抜け出させてくれるのが「パッション」だったり、Berryzの2nd~4thに溢れ
ていたポップ感覚だったりするんだけど、A面に2曲連続でどうにも好きになれない曲が来てしまっ
て、おまけに地獄の日程の握手会のことを聞いて僕はなんだかとっても凹んでしまっている。
□
あのラクーアの地獄の握手会の後、結局みんなでいつもの店で飲んだんだけど、目の前で眠りこけて
しまっているAさんを見て、なぜだか僕はまた一つの幻想が終わったような気がした。でも別にそれ
はシリアスに落ち込んだりするような瞬間ではなくて、自分がそれまで見ていた幸福な夢から覚めた
時のような、まだその幸福の余韻が残っているような、微妙な瞬間だった。
僕は疲弊したしみハムの表情を思った。
そして、店の隣にある公園の、バーベキュー用の施設のことを思った。僕らは店が始まるまでそこで
時間をつぶしたのだ。夕暮れの寂しさと、かくも熱狂の時間は儚いのかという寂しさと、それでも捨
てられない希望のようなものが、どこから来たのか分からない夕食の煙みたいに漂っていた。
□
あるいは、このような感じ方をする人はシーン全体に取って、もはや絶滅種に近いのかも知れない。
この2曲の流れを見ながら、僕はそんなようなことを思った。
僕らはそれぞれのやり方で、それぞれの距離を取りつつ、あの幸せを感じようとする。
僕らが距離を取るその中心には、即物的な奪い合いの光景が繰り広げられている。
僕らがそれに口を差し挟む権利は無い。
だけど、たぶん、きっと、しみハムも同じことを感じているはずだ。だって、僕にはあの頃のしみハム
の表情の方が輝いて見える。僕らも君たちも同じように、色んなことを諦めながら、でも、最後まで
諦めないものがあるんだと思う。そういうのを捨てないでいようと思う。そういうのを捨ててしまった
ら、僕と友理ちゃんの関わりはゼロになってしまうような気がする。
□
ねえ、聞いてる?オカール?」