しみ休さん
ははうえさま お元気ですか
夕べ杉の梢に 明るく光る星ひとつ見つけました
星は見つめます ははうえのようにとても優しく
私は星に話します
くじけませんよ 男の子です
さみしくなったら話にきますね いつかたぶん
それではまたおたよりします ははうえさま
一休
ははうえさま お元気ですか
昨日お寺の子猫が 隣の村にもらわれていきました
子猫は鳴きました かあさん、猫にしがみついて私は言いました
泣くのはおよし さびしくないさ
男の子だろ 母さんに会えるよ いつかきっと
それではまたおたよりします ははうえさま
一休
(歌:藤田淑子 作詞:山元護久 作編曲:宇野誠一郎)
(僕の聴き取りです)
□
リアルタイムで見てない(おぼろげな記憶はある)「一休さん」だけど、
「とんちんかんちん一休さん」にしろ、この「ははうえさま」にしろ、
昔のアニメソングって、なんて素敵なんだろうと思う。
「ははうえさま」にはバカラックの"Me,Japanese Boy"にも通じる、
ロマンチックなムードを感じてしまう…。
そして、某あぷろだの「佐紀たん寄せ集め」という素晴らしいOPVを見始める。
僕の妄想、キッズ・ミュージカルで、「ははうえさま」を歌い出すしみハム。
しみハムのははうえさま。張りつめた神経から解放されて、ははうえさまに心
から甘えるしみハム…。それだけで泣いてしまいそうになる。
お利口なしみハム。雅ちゃんと本当に仲良しなしみハム。お母さんが大好きな
しみハム。緊張しているしみハム。でも、まだ子供だから、結局カメラの前でも
無防備に全てをさらけ出してしまうしみハム。
そのあまりの無防備さに、僕は何かを守らなければいけないと強く感じるのだ
けど、僕はモニタに向かって、それを感じ続けることしかできない。
しみハムのあまりの真っ直ぐさは、その真っ直ぐさ故に、傷つくことや失われ
ることが決定されてしまっているような気がする。どうしようもない気持ちに
なる。そしてその時、きっと雅ちゃんがしみハムを救うのだと考えてしまうの
はありきたりなファンの妄想に過ぎないだろうか…?
□
3日連続でBerryz6thシングルの一部分を聴き続けて、しかし、今回もこの曲を
あまり好きにはなる事はできなさそうだ。僕は子供らしい、驚きと感動とポップ
に満ち溢れた2ndから4thのことを思い出す。もうBerryzでアップテンポのマイ
ナーメロディーは聴きたくない。そういう曲はもうアルバムに2曲もあれば充分だ。
世界にポップスが足りなさすぎる。
無条件に恋に落ちるあの瞬間が、あまりにも不足している。
もはやブラウン管を通して魅力的に見える女の子は、ハロー・プロジェクトの中
にしか居なくて、それはきっと世間が感じる新興宗教的な気持ち悪さと同じにしか
見えないのだろうけど、僕はもうそういうことがどうでも良くなってきている。
本当にどうでも良くなってきている。
Berryzが、そしてまだ見ぬキッズの新たなグループがポップに包まれるその瞬間の
ことしか。ポップスが小賢しさに扱われることにも、無神経さに扱われることにも
うんざりしている。本来の、冷徹なまでの分業の中に生まれる、完全な幸福を感じたい。
□
ほんとうに大好きな曲のことを論評しようなんて誰も思わない。
ただその幸せと熱狂に身を任せるだけだと思う。
このままBerryzに圧倒されていたいと思う。
あの頃「モーヲタ」と言う言葉を今より気持ちよく感じていたのは、モーニング娘。
が心から最高だと思えたからだ。そして、「みんな同じ事を感じている」という事を
強く感じていたからだ。そういう時代はあっけなくも終わってしまい、なんだか僕
は(僕らは)その場所に昔のように馴染めないでいる。押しつけがましいだけの気持ち
悪さに、あの頃よりほんの一片の価値もあるとも思えない。
僕らがあんなにも気持ち悪かったのは、娘。がとんでもなく素晴らしかったからなのだ。
夕べ杉の梢に 明るく光る星ひとつ見つけました
星は見つめます ははうえのようにとても優しく
私は星に話します
くじけませんよ 男の子です
さみしくなったら話にきますね いつかたぶん
それではまたおたよりします ははうえさま
一休
ははうえさま お元気ですか
昨日お寺の子猫が 隣の村にもらわれていきました
子猫は鳴きました かあさん、猫にしがみついて私は言いました
泣くのはおよし さびしくないさ
男の子だろ 母さんに会えるよ いつかきっと
それではまたおたよりします ははうえさま
一休
(歌:藤田淑子 作詞:山元護久 作編曲:宇野誠一郎)
(僕の聴き取りです)
□
リアルタイムで見てない(おぼろげな記憶はある)「一休さん」だけど、
「とんちんかんちん一休さん」にしろ、この「ははうえさま」にしろ、
昔のアニメソングって、なんて素敵なんだろうと思う。
「ははうえさま」にはバカラックの"Me,Japanese Boy"にも通じる、
ロマンチックなムードを感じてしまう…。
そして、某あぷろだの「佐紀たん寄せ集め」という素晴らしいOPVを見始める。
僕の妄想、キッズ・ミュージカルで、「ははうえさま」を歌い出すしみハム。
しみハムのははうえさま。張りつめた神経から解放されて、ははうえさまに心
から甘えるしみハム…。それだけで泣いてしまいそうになる。
お利口なしみハム。雅ちゃんと本当に仲良しなしみハム。お母さんが大好きな
しみハム。緊張しているしみハム。でも、まだ子供だから、結局カメラの前でも
無防備に全てをさらけ出してしまうしみハム。
そのあまりの無防備さに、僕は何かを守らなければいけないと強く感じるのだ
けど、僕はモニタに向かって、それを感じ続けることしかできない。
しみハムのあまりの真っ直ぐさは、その真っ直ぐさ故に、傷つくことや失われ
ることが決定されてしまっているような気がする。どうしようもない気持ちに
なる。そしてその時、きっと雅ちゃんがしみハムを救うのだと考えてしまうの
はありきたりなファンの妄想に過ぎないだろうか…?
□
3日連続でBerryz6thシングルの一部分を聴き続けて、しかし、今回もこの曲を
あまり好きにはなる事はできなさそうだ。僕は子供らしい、驚きと感動とポップ
に満ち溢れた2ndから4thのことを思い出す。もうBerryzでアップテンポのマイ
ナーメロディーは聴きたくない。そういう曲はもうアルバムに2曲もあれば充分だ。
世界にポップスが足りなさすぎる。
無条件に恋に落ちるあの瞬間が、あまりにも不足している。
もはやブラウン管を通して魅力的に見える女の子は、ハロー・プロジェクトの中
にしか居なくて、それはきっと世間が感じる新興宗教的な気持ち悪さと同じにしか
見えないのだろうけど、僕はもうそういうことがどうでも良くなってきている。
本当にどうでも良くなってきている。
Berryzが、そしてまだ見ぬキッズの新たなグループがポップに包まれるその瞬間の
ことしか。ポップスが小賢しさに扱われることにも、無神経さに扱われることにも
うんざりしている。本来の、冷徹なまでの分業の中に生まれる、完全な幸福を感じたい。
□
ほんとうに大好きな曲のことを論評しようなんて誰も思わない。
ただその幸せと熱狂に身を任せるだけだと思う。
このままBerryzに圧倒されていたいと思う。
あの頃「モーヲタ」と言う言葉を今より気持ちよく感じていたのは、モーニング娘。
が心から最高だと思えたからだ。そして、「みんな同じ事を感じている」という事を
強く感じていたからだ。そういう時代はあっけなくも終わってしまい、なんだか僕
は(僕らは)その場所に昔のように馴染めないでいる。押しつけがましいだけの気持ち
悪さに、あの頃よりほんの一片の価値もあるとも思えない。
僕らがあんなにも気持ち悪かったのは、娘。がとんでもなく素晴らしかったからなのだ。