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21
2005

前のエントリーに続いて書いたこと

CATEGORYBerryz
そう言えば、この間Bloglinesにリカ作さんのこの昔のエントリーがなぜか急に上がってきて、
僕はその頃のことを思い出した。

やはり、僕が求めているものと言うのは、女の子達による屈託無い(驚いてしまうほど作為の
ない、或いはその作為に近づこうとする努力にこちらが微笑んでしまうような)ポップスなの
では無いだろうか。そこにポップスが死に絶えてしまった時に、僕は女の子のことを愛せな
くなってしまったのではないか。なんとなく、そう思った。

昨夜、チャカさんとチャットで話した時もそういう話になった。
「シャレだったり、微笑ましかったりってのはすごく重要なんですよ!」とチャカさんは言っ
た。僕もそう思った。何の根拠もない僕の経験上の話でしか無いが、最高に幸せなポップスは
そういうシャレや微笑みが通りですれ違うような、重さゼロのところからしか生まれてこない。
娘。はポップ・スターであるにはその歴史が重すぎた。少なくとも、僕には重すぎた。

とは言え、自分がただポップだけに支えられていたのかと言えばそれは間違いなくNOであり、
そのポップ以外の要素について考える時、僕はそのあまりの大きさにまた降伏することになる。
それがなぜかと言えば、あの平和なハロー・プロジェクトに全く似つかわしくない対立軸が決
定的に現れたのは、紛れもなく我々が知っている娘。が崩壊した時点からであるからだ。
しかし、この言葉はある種の人々に対してしか通じないかも知れない…。





人間は愚かな生き物だから、どうしてもやはりそれまでの娘。をキッズにも見ようとする。
でも、周りを見渡すと、それまでとはかなり色々な風景が違っている。あの大きな愛はもう
どこにも無い。しかし、僕は自ら強く望んでここに来て、そしてここに居るのだ。そして、
あの頃には無い別の幸せを見出し始めてもいる。恋の感覚は、あの頃より強くさえある。





何も書けないまま時間が過ぎて、ふと友理ちゃんの未来への希望で一杯の表情が浮かぶ。
とてもわくわくする。友理ちゃんの希望の前では僕の恋さえも霞んでしまう。

加護ちゃんが大好きだった僕は、友理ちゃんが初めて僕らの前で挨拶した時、
「熊井ちゃんです!」ってやった時、キッズの中で最も許せないやつだと思った。
でも、あれこそは今と変わらない友理ちゃんの希望そのものだったんだ!

友理ちゃんの希望は僕を導いている。
今僕がリピートしている「サンダーバードのテーマ」みたいに。
「サンダーバードのテーマ」には希望溢れるメロディーも、哀愁も一緒くたに詰まっている。
ラクーアで見た打ちひしがれた友理ちゃんの表情は、きっとその哀愁のメロなんだと思う。

友理ちゃんの身体はこれから、そういう色々なことを吸収していくんだと思う。
友理ちゃんの表情を見ていると、友理ちゃんの未来にはきっと良いことが待っているんだと
思う。そして、そのことを思っているだけで幸せな気持ちになる。

全ての幸せを独占したいと思っている最悪にわがままな僕でさえ!

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