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04
2005

Make My Cot Where The Cot-Cot-Cotton Grows

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最近友人と萌えに関するシリアスな話をすることが多かったから、
ここ数日、日常的にちょっと色々考えていた。

僕の場合、抑圧された日常の生活の中で(と言っても、堕落しきったどうしようもない
生活なんだけど(泣))キッズに感じているものは、どう誤魔化してみたってやっぱり最後
には性的なものが大きい。でも、例えば握手会でキッズを目の前にした時、そんな心情
は全く湧かないし、近所を歩いている時に小さな子を見ても特に何とも思わない。
不可解なことだけど、僕はきっと臆病なだけなんだろうと思う。考えてみれば、昔から
想像の中でしか自分を解放できなかったし、日常的によく顔を合わせる女の子のことを
好きになることはあまり無かったような気がする。好きな子はいつも遠くにいたような。
とにかく想像している状態が好きなのかも知れない。僕とBerryzの関係の場合、言うま
でもなく萌え要素は向こうの方からやって来て、僕を翻弄する。現実の関係だったら
知り得ないようなことまで全て彼女達は見せてくれる。僕は錯覚を起こし始める。





でも、それだけだったらそこらの凡百のアイドルにも言えることのような気がする。
だって僕はハロプロ以外のものに殆ど全く反応しないし、でもそれはなぜかと考えた時、
やはり音楽のような気がする。結論から言うと、僕はたぶん、無防備にポップスを身に
纏った女の子の姿が好きなんだろうと思う。

逆に言うと、優れたポップスを歌っている女の子だって沢山いるわけで、でも僕はその子
のことをあまり好きにはならない。一概に言うことは出来ないけれど、僕は大抵の場合に
おいて、そういう女の子の虚飾された感じが好きになれなかったりする。

そして、僕には、キッズにそういうものが殆ど無いように見える。あったとしても、それ
はかえってその無邪気さを際だたさせる、抱きしめたくなるような虚飾ばかりだ。そして
僕はキッズが幼いからと言って、そのような無邪気さが当たり前であるとは思わない。
こういうことを言うとまたKくんに怒られてしまうかも知れないけど、そのような無垢さが
得られる道筋と言うものは、やはり娘。こそが築いてきたものなのだと僕は思う。





しかし、ここ数日の友人達とのやりとりで僕が感じたことは、彼らは僕が思うよりずっと
ずっと失われた人達だったのだ、と言うことだ。僕が始まりとして娘。を失ったように、
愛の大きさの差こそあれ、彼らはずっと失われてきた。そして、最後の場所として娘。達
を能動的、意識的に愛していたのだ。僕はそんなことに気づいていたようで、実は全く気づ
いていなかったのだろう。

その時思った正直な印象として、僕がBerryzを絶対に失いたくないと言う今の気持ちは、
彼らの何百分の一であるにせよ、同じものなのかも知れないと思った。もしそれを不愉快に
感じたとしたら、本当に申し訳ないと思うけれど。

そして、Dさんの言う通り、あの15人時代の数ヶ月は僕らにとって本当に特別なものだった
と思う。長い冬を経て見つけた最後の幸せだったんだと思う。全ての、みんなにとっての。

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