獣の罪
どうしようもない高まりと渇望は、もう自慰行為では抑えられなくなってきた。
満たされず、空しく、焦燥感と悲観的な展望だけが目の前にある。
どうしてこんなにも魅力的なんだろう。どうしてこんなに可愛いんだろう…。
友人達がキッズ萌えのことについて話していた。
僕もいい加減な人間だし、最近頭がボケまくっているから大したことは言え
ないかも知れないけど、Dさんが言った通り、もしかすると僕は娘。のことを
愛していなかったのかも知れない。正確に言えば、僕の場合、それはただ
ひたすらに受動的で、常に向こうから与えられるものだったような気がする。
実際、その頃は毎日肉体労働のバイトをしたり、パチンコしたり飲みに行った
り、と不規則極まる生活をしていたからと言うせいもあるけど、今のキッズに
対するほど熱心に娘。情報をチェックもしなかったし、写真も買わなかったし、
でも、それでも自分の萌え局面とでも言うべき決定的な瞬間がいつもいつも
ライブの度に、動画を見る度に訪れていて、それに何の疑問も抱かなかった。
それが一番幸せなことだと思っていた。永遠だと思っていた。
このことは言い訳がましくなるからいつも書こうと思っても書かない(書けない)
のだけど、このことを書かないといつまで経っても僕は前に進めないような気が
する。だから、書いてみようと思う。
僕のそういう世界が揺らぎ始めたのは、やはりなっちの脱退からだったと思う。
一部の人に嘲笑されながらも「なちやめ」で僕は僕なりの考えをぶちまけた。
でも結局、世界は少しも変わらなかったし、信じられないような悪い方向へと
向かっていった。誤解されると困るから先に書いておくけど、悪い方向と言う
のはグループとしての方向であって、娘。達個人の輝きや、苦しみや、努力の
ことでは全く無い。むしろ、その輝きとどこかの誰かに決められた方向性が全く
相反しているからこそ僕は苦しかったのです。
□
僕の最も印象的な出来事は、辻ちゃんと加護ちゃんの脱退の日に、I君が泣き
ながら電話をかけてきた時だった。彼が普段電話をかけてくることなんて殆ど
無かったし、でも彼は一番最初の爆音から付き合いのある、娘。の最も幸せな
記憶の風景を思い出す時にはいつもそこにいる人だった。彼は僕のように萌え
萌え言う人でも無かったし、どちらかと言うと、むしろ僕が当時疑問視していた
過剰なプロレス的視点に立って娘。を見る人だったように思う。
でも、その時、彼は僕と泣くのと同じように泣いていた。
その時、僕は初めて、彼と僕は同じものを娘。に見ていたんだな、と思った。
何を言っていても、根底にある、叫び出したくなるような抑えがたいあの思いは、
昔からみんな一緒だったんだな、と思った。そして、それが分かった瞬間、なぜ
か僕は自分の中で何かが完全に終わったような気がした。
僕はその時既にキッズに、Berryzに夢中だった。
1月の中野Berryz、2/7のキッズイベントで、僕はもう完全に身も心もやられていた。
信じられないほど可愛かったし、曲は全部良かった。初々しい可愛さに満ちあふれて
いて、彼女達の未来には雲の一つも無く晴れ渡っているように見えた。その時僕が
望むものが、殆ど全てそこにあった。僕が唯一残念だったのは、一番仲の良い友人
達と2/7のイベントを見れなかったことだ。その時感じた幸せこそが。その時の僕ら
が共有するべきことに僕には思えた。心の隅に感じる厚かましさを押しやってでも、
僕にはそう思えた。
□
僕は多分、「モーニング娘。」と言う女の子達の幻想を決定的に失ってしまったのだ
と思う(それはもちろん、あくまで僕の中で僕の幻想が失われたと言うことだ)。僕は
毎年のように繰り返される脱退をもう二度と見たくなかったし、そこで泣くのももう沢
山だと思った。彼らがシステムとしてそれを続ける以上、そしてそれをしょうがないと
思うファンがいて、そのシステムが(表面上)うまく行っている以上、僕はモーニング
娘。を好きで居続けることに対して絶望してしまった。Cさん(当時Yさん)が言ったよう
に、僕はなっちがおばさんになってもずっとずっとモーニング娘。で居続けて欲しかっ
たのだ。多分、こんなことを言ってもまともな人達には幼稚な意見にしか見えないの
だろう。でも、僕はその時、本気でそう思っていた。それだけは心から言える。
あんなにも好きだ、好きだと言っていた女の子達について少しも触れなくなることを
僕自身も非情だと思う。事実、完全に絶望してしまった瞬間から、僕は娘。から、好き
になり始めた六期からも意識的に身を遠ざけようとしていた。娘。のことを考えると、
なにもかもが辛かった。そして、Berryzには僕がずっと渇望していた幸福と高揚感が
溢れていた。その高揚の中では、事務所が今でも掲げている「学校行事を最優先する
ためメンバーが云々…」と言う言葉を思い出すことも無かった。Berryzの次のシングル
や、アルバムのことを考えると本当に心の底からわくわくした。
意識的に抑え込んでいるからなのか、酔っている時に娘。の曲を聞いたり、映像を見たり
すると、やたら泣くことが多くなった。娘。を裏切っているという気持ちと、Berryzが好きな
気持ちの間で、本当に訳が分からなくなった。これを書いている今だって、僕はかなり混
乱している。
□
そして、もう一つ思うことはソロになった娘。達の活動を見ていて、殆ど心を惹かれないことだ。
正確に言うと、僕は全くWの曲に対して絶望してしまっている。なんであの子達がこんなに
悪趣味な曲をどこかのカラオケのようなアレンジで歌わなければならないのか。僕には、ソロ
になると言う価値が、モーニング娘。であった時の価値を越えると思うことができない。それが
あの子達の身を削る苦しみに対しての言葉になったとしても、僕はそう感じたとしか言えない
のだ。価値と言うものを単純に比べることは出来ないことは分かっているけど、それでも絶対だ
ったのが「あの頃」のモーニング娘。だったのだと僕は思っているし、そう思ってしまった以上、
そこから進むことは、多分、できない。
僕がBerryzに感じた幸せを娘。の記憶に重ね合わせることは、失礼であると同時に、おこがまし
くも自分としての真実であるとも思う。その時に感じた強烈なパッション無しでは、人は生きてい
けないのだと思う。
パッション感じちゃう
ずっとずっと一緒にE-CHA E-CHA
何百回とかチューしても
慣れないでいましょう
爆笑取ったら
なんかちょっと自慢げ WA-HA WA-HA
何百歳とかなってたって
ユーモアを分け合おう
心にこの歌詞を焼き付けたいと思った。
目の前のBerryzタンブラーに、ちなこを真ん中に8人が映る。
みんなが一緒に笑っている時の顔が大好きだ。もう二度と離れたくない。
桃子にずっとムカついていたいし、バカな梨沙子をずっと見ていたい。
不器用な舞波も、強情なちなこも、誘惑する雅ちゃんも、透明な友理ちゃんも、
みんなを優しく見守る茉麻も、しみハムも。
□
この問題に関する最も親しい友達の意見の違いを見ていると、なぜか、がんじがらめに
なった頭が少しだけほどけていく。僕にはどっちの意見も納得できてしまう。なぜなら、
彼らは僕が知る中で誰よりも娘。を愛していた人達だったからだ。僕は、彼らの言葉に
何度触発されただろう。そして、それらの言葉や印象は、最も幸せだった時の記憶と
して、僕の身体の奥に深くインプットされている。
I君のエピソードと同じように、彼らと僕は同じ悲しみを共有しているからこそ、感覚を
越えて付き合えているのだと思う。僕は娘。を好きになって、ネットで色んな人にあって、
でも、どこか自分の落ち着ける場所というものを見つけ出せずにいた。GMや、2chや、
ファンサイトや、最後には殆ど馴染めなかった。それは僕が心を開かなかったせいでも
あるだろうけど、でも、初めて見つけたその場所には、今の時代にそぐわないナイーブ
さのようなものを普通に受け入れる余裕や、心の広さがあったように思う。
できることなら、ずっとずっと娘。について昔と同じように話していたかったと思う。
でも、僕は、僕らはお互いを認め合うことができると思っている。
娘。的な幸せを享受した僕らがこの流れの中で離れていくことこそが、最後の破局で
あるように僕は思う。アルコールの限界点を越えた僕はもう多分これ以上書くことは
できない。ごめんなさい。
満たされず、空しく、焦燥感と悲観的な展望だけが目の前にある。
どうしてこんなにも魅力的なんだろう。どうしてこんなに可愛いんだろう…。
友人達がキッズ萌えのことについて話していた。
僕もいい加減な人間だし、最近頭がボケまくっているから大したことは言え
ないかも知れないけど、Dさんが言った通り、もしかすると僕は娘。のことを
愛していなかったのかも知れない。正確に言えば、僕の場合、それはただ
ひたすらに受動的で、常に向こうから与えられるものだったような気がする。
実際、その頃は毎日肉体労働のバイトをしたり、パチンコしたり飲みに行った
り、と不規則極まる生活をしていたからと言うせいもあるけど、今のキッズに
対するほど熱心に娘。情報をチェックもしなかったし、写真も買わなかったし、
でも、それでも自分の萌え局面とでも言うべき決定的な瞬間がいつもいつも
ライブの度に、動画を見る度に訪れていて、それに何の疑問も抱かなかった。
それが一番幸せなことだと思っていた。永遠だと思っていた。
このことは言い訳がましくなるからいつも書こうと思っても書かない(書けない)
のだけど、このことを書かないといつまで経っても僕は前に進めないような気が
する。だから、書いてみようと思う。
僕のそういう世界が揺らぎ始めたのは、やはりなっちの脱退からだったと思う。
一部の人に嘲笑されながらも「なちやめ」で僕は僕なりの考えをぶちまけた。
でも結局、世界は少しも変わらなかったし、信じられないような悪い方向へと
向かっていった。誤解されると困るから先に書いておくけど、悪い方向と言う
のはグループとしての方向であって、娘。達個人の輝きや、苦しみや、努力の
ことでは全く無い。むしろ、その輝きとどこかの誰かに決められた方向性が全く
相反しているからこそ僕は苦しかったのです。
□
僕の最も印象的な出来事は、辻ちゃんと加護ちゃんの脱退の日に、I君が泣き
ながら電話をかけてきた時だった。彼が普段電話をかけてくることなんて殆ど
無かったし、でも彼は一番最初の爆音から付き合いのある、娘。の最も幸せな
記憶の風景を思い出す時にはいつもそこにいる人だった。彼は僕のように萌え
萌え言う人でも無かったし、どちらかと言うと、むしろ僕が当時疑問視していた
過剰なプロレス的視点に立って娘。を見る人だったように思う。
でも、その時、彼は僕と泣くのと同じように泣いていた。
その時、僕は初めて、彼と僕は同じものを娘。に見ていたんだな、と思った。
何を言っていても、根底にある、叫び出したくなるような抑えがたいあの思いは、
昔からみんな一緒だったんだな、と思った。そして、それが分かった瞬間、なぜ
か僕は自分の中で何かが完全に終わったような気がした。
僕はその時既にキッズに、Berryzに夢中だった。
1月の中野Berryz、2/7のキッズイベントで、僕はもう完全に身も心もやられていた。
信じられないほど可愛かったし、曲は全部良かった。初々しい可愛さに満ちあふれて
いて、彼女達の未来には雲の一つも無く晴れ渡っているように見えた。その時僕が
望むものが、殆ど全てそこにあった。僕が唯一残念だったのは、一番仲の良い友人
達と2/7のイベントを見れなかったことだ。その時感じた幸せこそが。その時の僕ら
が共有するべきことに僕には思えた。心の隅に感じる厚かましさを押しやってでも、
僕にはそう思えた。
□
僕は多分、「モーニング娘。」と言う女の子達の幻想を決定的に失ってしまったのだ
と思う(それはもちろん、あくまで僕の中で僕の幻想が失われたと言うことだ)。僕は
毎年のように繰り返される脱退をもう二度と見たくなかったし、そこで泣くのももう沢
山だと思った。彼らがシステムとしてそれを続ける以上、そしてそれをしょうがないと
思うファンがいて、そのシステムが(表面上)うまく行っている以上、僕はモーニング
娘。を好きで居続けることに対して絶望してしまった。Cさん(当時Yさん)が言ったよう
に、僕はなっちがおばさんになってもずっとずっとモーニング娘。で居続けて欲しかっ
たのだ。多分、こんなことを言ってもまともな人達には幼稚な意見にしか見えないの
だろう。でも、僕はその時、本気でそう思っていた。それだけは心から言える。
あんなにも好きだ、好きだと言っていた女の子達について少しも触れなくなることを
僕自身も非情だと思う。事実、完全に絶望してしまった瞬間から、僕は娘。から、好き
になり始めた六期からも意識的に身を遠ざけようとしていた。娘。のことを考えると、
なにもかもが辛かった。そして、Berryzには僕がずっと渇望していた幸福と高揚感が
溢れていた。その高揚の中では、事務所が今でも掲げている「学校行事を最優先する
ためメンバーが云々…」と言う言葉を思い出すことも無かった。Berryzの次のシングル
や、アルバムのことを考えると本当に心の底からわくわくした。
意識的に抑え込んでいるからなのか、酔っている時に娘。の曲を聞いたり、映像を見たり
すると、やたら泣くことが多くなった。娘。を裏切っているという気持ちと、Berryzが好きな
気持ちの間で、本当に訳が分からなくなった。これを書いている今だって、僕はかなり混
乱している。
□
そして、もう一つ思うことはソロになった娘。達の活動を見ていて、殆ど心を惹かれないことだ。
正確に言うと、僕は全くWの曲に対して絶望してしまっている。なんであの子達がこんなに
悪趣味な曲をどこかのカラオケのようなアレンジで歌わなければならないのか。僕には、ソロ
になると言う価値が、モーニング娘。であった時の価値を越えると思うことができない。それが
あの子達の身を削る苦しみに対しての言葉になったとしても、僕はそう感じたとしか言えない
のだ。価値と言うものを単純に比べることは出来ないことは分かっているけど、それでも絶対だ
ったのが「あの頃」のモーニング娘。だったのだと僕は思っているし、そう思ってしまった以上、
そこから進むことは、多分、できない。
僕がBerryzに感じた幸せを娘。の記憶に重ね合わせることは、失礼であると同時に、おこがまし
くも自分としての真実であるとも思う。その時に感じた強烈なパッション無しでは、人は生きてい
けないのだと思う。
パッション感じちゃう
ずっとずっと一緒にE-CHA E-CHA
何百回とかチューしても
慣れないでいましょう
爆笑取ったら
なんかちょっと自慢げ WA-HA WA-HA
何百歳とかなってたって
ユーモアを分け合おう
心にこの歌詞を焼き付けたいと思った。
目の前のBerryzタンブラーに、ちなこを真ん中に8人が映る。
みんなが一緒に笑っている時の顔が大好きだ。もう二度と離れたくない。
桃子にずっとムカついていたいし、バカな梨沙子をずっと見ていたい。
不器用な舞波も、強情なちなこも、誘惑する雅ちゃんも、透明な友理ちゃんも、
みんなを優しく見守る茉麻も、しみハムも。
□
この問題に関する最も親しい友達の意見の違いを見ていると、なぜか、がんじがらめに
なった頭が少しだけほどけていく。僕にはどっちの意見も納得できてしまう。なぜなら、
彼らは僕が知る中で誰よりも娘。を愛していた人達だったからだ。僕は、彼らの言葉に
何度触発されただろう。そして、それらの言葉や印象は、最も幸せだった時の記憶と
して、僕の身体の奥に深くインプットされている。
I君のエピソードと同じように、彼らと僕は同じ悲しみを共有しているからこそ、感覚を
越えて付き合えているのだと思う。僕は娘。を好きになって、ネットで色んな人にあって、
でも、どこか自分の落ち着ける場所というものを見つけ出せずにいた。GMや、2chや、
ファンサイトや、最後には殆ど馴染めなかった。それは僕が心を開かなかったせいでも
あるだろうけど、でも、初めて見つけたその場所には、今の時代にそぐわないナイーブ
さのようなものを普通に受け入れる余裕や、心の広さがあったように思う。
できることなら、ずっとずっと娘。について昔と同じように話していたかったと思う。
でも、僕は、僕らはお互いを認め合うことができると思っている。
娘。的な幸せを享受した僕らがこの流れの中で離れていくことこそが、最後の破局で
あるように僕は思う。アルコールの限界点を越えた僕はもう多分これ以上書くことは
できない。ごめんなさい。