オカール改変問題
何の反応も無いマンジョキ更新を経て未だに疑問なのは、やはり、なぜ桃子と
オカールがこんなにも仲良くなっているのかと言うことだ。
「かわいい桃ちゃんでーす」…?
おい、オカール、いつからお前はこんな甘ったれた台詞を吐くようになったんだ。
俺がお前に惚れたのは、ハロキで桃子のケーキを一刀両断する姿や、梨沙子に
「弱い!」と吐き捨てるその姿。そう、最高にロックンロールしてたお前の背中に
惚れたんだぜぇぇぇ???それがなんで満面の笑みで一緒にハッピー!なんて…。
やはりこれは、年上である桃子の政治力が発揮されたものと見るべきなのだろうか。
あのオカールを桃子はどう懐柔したのだろうか?同じフレッツ動画でも、桃子以外
のメンバーにはいつものように勝手に仕切りまくっているオカールの姿を見ると、
やはりこれは裏で何かあったのではないかと下衆な私は考えてしまうのである。
私が危機を抱くのは、オカールがその野蛮な力を完全に失った時「キッズ・バラン
ス・オブ・パワー」は完全に破壊されるということなのである。正直私は、昔から桃子
を見ていると、もうムカついてムカついてひっぱたきたくなって、でもそれでも萌えて
いるという微妙なスタンスを維持している訳であって、そういうスタンスからものを
見る時、オカールのような桃子に対抗しうる暴力は絶対に必要なのである。
Berryz&WコンのDVDパンフ、オリジナルTシャツをメンバーでデザインしている時の
梨沙子に対しての異常に冷酷な桃子の視線と言葉。私はそれを見ながら、「ああ、
ここにオカールが居たら…梨沙子を自分の子分だと勘違いしているオカールがもし
ここに居たら…」とよく妄想したものである。ヘイオカール、あの高慢ちきな桃子の
鼻っ柱を叩き折ってしまえ!
しかし、そんな暴力的な妄想をしながらも、私はやはり同時に桃子にも萌えてしまう
のである。かと言って、普段そんなに桃子のことを考え、高まっている訳でもない。
これは何なのかと考えた時、私は「ハローキッズ」と言う番組について考えずにはい
られない。2004.2/7六本木、運命のキッズイベントで私の身体と精神の組成は完全
に組み変えられてしまった。キッズの全てを知りたくなった。HDDの中から、焼いたCD
Rの中からキッズに関するものを探し出した時、一番に出てくるのが「ハローキッズ」だった。
私はハロプロの番組を初めて必死に凝視した。
自分の妄想へ引き摺り込むことと同じくらいに彼女たちのことを知りたいと思った。
「あぁ!」~「ZYX」~「Berryz」と続く信じられない楽曲の萌えグルーヴの持続もそれに
拍車をかけた。その内、友人とハローキッズを見るのが何よりも楽しいことになった。
その頃のハローキッズを見ることによってかたちづくられた世界は、あまりにも不安定
だった私の精神にとって、ほぼ絶対の世界だった。それしか楽しいことは無かったし、
それ以上にリアルなことは無かった。Berryz以外のキッズ達の活動は限られていたし、
いつまでもいつまでも私はその映像を見続けていた。
オカールと桃子の争う姿、そのものが最高に幸せな記憶の中にインプットされていて、
だから私は……僕はフレッツの動画に不安を覚えたのかも知れない。
このほんの気まぐれで書き始めたどうしようもない駄文に強引になんとかケリをつけ、
アルコールまみれになった脳で考えることは、娘。に対するどうしようもない罪の意識だ
ったりする。僕はずっとずっとその部分でつまづいている。
オカールがこんなにも仲良くなっているのかと言うことだ。
「かわいい桃ちゃんでーす」…?
おい、オカール、いつからお前はこんな甘ったれた台詞を吐くようになったんだ。
俺がお前に惚れたのは、ハロキで桃子のケーキを一刀両断する姿や、梨沙子に
「弱い!」と吐き捨てるその姿。そう、最高にロックンロールしてたお前の背中に
惚れたんだぜぇぇぇ???それがなんで満面の笑みで一緒にハッピー!なんて…。
やはりこれは、年上である桃子の政治力が発揮されたものと見るべきなのだろうか。
あのオカールを桃子はどう懐柔したのだろうか?同じフレッツ動画でも、桃子以外
のメンバーにはいつものように勝手に仕切りまくっているオカールの姿を見ると、
やはりこれは裏で何かあったのではないかと下衆な私は考えてしまうのである。
私が危機を抱くのは、オカールがその野蛮な力を完全に失った時「キッズ・バラン
ス・オブ・パワー」は完全に破壊されるということなのである。正直私は、昔から桃子
を見ていると、もうムカついてムカついてひっぱたきたくなって、でもそれでも萌えて
いるという微妙なスタンスを維持している訳であって、そういうスタンスからものを
見る時、オカールのような桃子に対抗しうる暴力は絶対に必要なのである。
Berryz&WコンのDVDパンフ、オリジナルTシャツをメンバーでデザインしている時の
梨沙子に対しての異常に冷酷な桃子の視線と言葉。私はそれを見ながら、「ああ、
ここにオカールが居たら…梨沙子を自分の子分だと勘違いしているオカールがもし
ここに居たら…」とよく妄想したものである。ヘイオカール、あの高慢ちきな桃子の
鼻っ柱を叩き折ってしまえ!
しかし、そんな暴力的な妄想をしながらも、私はやはり同時に桃子にも萌えてしまう
のである。かと言って、普段そんなに桃子のことを考え、高まっている訳でもない。
これは何なのかと考えた時、私は「ハローキッズ」と言う番組について考えずにはい
られない。2004.2/7六本木、運命のキッズイベントで私の身体と精神の組成は完全
に組み変えられてしまった。キッズの全てを知りたくなった。HDDの中から、焼いたCD
Rの中からキッズに関するものを探し出した時、一番に出てくるのが「ハローキッズ」だった。
私はハロプロの番組を初めて必死に凝視した。
自分の妄想へ引き摺り込むことと同じくらいに彼女たちのことを知りたいと思った。
「あぁ!」~「ZYX」~「Berryz」と続く信じられない楽曲の萌えグルーヴの持続もそれに
拍車をかけた。その内、友人とハローキッズを見るのが何よりも楽しいことになった。
その頃のハローキッズを見ることによってかたちづくられた世界は、あまりにも不安定
だった私の精神にとって、ほぼ絶対の世界だった。それしか楽しいことは無かったし、
それ以上にリアルなことは無かった。Berryz以外のキッズ達の活動は限られていたし、
いつまでもいつまでも私はその映像を見続けていた。
オカールと桃子の争う姿、そのものが最高に幸せな記憶の中にインプットされていて、
だから私は……僕はフレッツの動画に不安を覚えたのかも知れない。
このほんの気まぐれで書き始めたどうしようもない駄文に強引になんとかケリをつけ、
アルコールまみれになった脳で考えることは、娘。に対するどうしようもない罪の意識だ
ったりする。僕はずっとずっとその部分でつまづいている。