恋の呪縛PV
やっぱ、子供に変に大人ぶらせようとするとろくなことが無いと言うことが
判明。同じ「大人」っていうテーマなら「あなたなしでは~」の域に及ぶべ
くも無い曲だしなぁ…。と、久々に偉そうに言ってみたくなりました、すい
ません(泣)。
でもね、やっぱ「パッション~」こそがBerryzそのものだと思うよ俺は!!!
…でも、全体のことを考えれば、今はカップリングがあんな曲で幸せだって
思わなきゃなのかもね………とは俺は思わない!!もっともっと質の高いポ
ップスを!!それでこそのHello!Project!!!
間接的とは言え、Daichiがハロプロオールスターズとやらでキッズに絡むの
がすごくいやなんだよなぁ…。昔はいい曲もあったのは認めるけど、ずぼら
なリスナー代表の自分でさえ、今はちょっと聴きで「あ、これDaichiね」っ
てがっかりしてしまう。今さらなんだけど…。今までずっといいかたちで来
てるBerryzやキッズに、そういうのを歌って欲しくない。こういうのって
我が儘の極地なんだろうけど、僕は音楽に関する限り、みんなもっと我が儘
であるべきだと思う。ここらでいいか、って妥協点はあるべきじゃないと思う。
□
もちろん自分も含めての話なんだけど、どうしてこんなにシーンはオタクく
さくなってしまったんだろう。もう一般人に話が全く通用しない。それどころ
か、はっきりと厭われている。この事も、今さらなんだけどさ…。
あの頃の「モーヲタ」って響きは今とは違って聞こえてたと思う。
それはもっと新しいもので、かっこいいもので、でもそれでいてやっぱちょっ
と情けないもので、でもその収まりの悪ささえが心地よかった。むしろ、情け
ないと見られるだろう瞬間に、みんな飛び込みたがってる節さえあった。
その時、僕が見た限りは。
だけど、今ってどこが恰好良いんだ?と思う。どこがポップなんだ?と。
その苛立ちはきっとずっと前から僕の中にあって(もしかしたらみんなにもあっ
たのかも知れない)、その苛立ちによって欠けたものをずっと補完していたのは
、情、人情のようなものだったのかも知れない。だって、僕はずっとずっと、
娘。達と一緒にいる想像ばかりしてきたし、それによって(それだけによって)
安らぎを得てきた。つまり、僕らはきっと愛し合っていたのだ。
ラジオからポップスが途切れるまで、愛し合っていた。
きっと彼女は歌っている自分に恋をしただろうし、歌っている自分に恋をした
人達のことを、もしかしたら僕らを想像しただろう。その瞬間に、ほんの隙間に
生まれたものが恋であるに違いない。僕は、そう思う。だって、そう思わないこ
とには、僕らの関係はあまりに限られている。
でも、その限られた関係の中でどうしてあんなに完璧な風景が見えたのだろう。
そして、どうしてもう完璧な風景は見えなくなってしまったのだろう。
その理由はもうとっくの昔に分かっていることなのだけど、僕の友達も、僕もあ
まりそのことについて言わなくなった。言うのが辛いからだ。いつ、いつだって、
身の回りの何人かの友達しかちゃんと物事を分かっていない。会ったことの無い、
色んな人の思っていることをネットで見られるようになった今でも、それは変わら
ない。
ラジオから音が途切れ、彼女は何を思っただろう。
そしていつか、また音が途切れた時、僕はどうするんだろう。
判明。同じ「大人」っていうテーマなら「あなたなしでは~」の域に及ぶべ
くも無い曲だしなぁ…。と、久々に偉そうに言ってみたくなりました、すい
ません(泣)。
でもね、やっぱ「パッション~」こそがBerryzそのものだと思うよ俺は!!!
…でも、全体のことを考えれば、今はカップリングがあんな曲で幸せだって
思わなきゃなのかもね………とは俺は思わない!!もっともっと質の高いポ
ップスを!!それでこそのHello!Project!!!
間接的とは言え、Daichiがハロプロオールスターズとやらでキッズに絡むの
がすごくいやなんだよなぁ…。昔はいい曲もあったのは認めるけど、ずぼら
なリスナー代表の自分でさえ、今はちょっと聴きで「あ、これDaichiね」っ
てがっかりしてしまう。今さらなんだけど…。今までずっといいかたちで来
てるBerryzやキッズに、そういうのを歌って欲しくない。こういうのって
我が儘の極地なんだろうけど、僕は音楽に関する限り、みんなもっと我が儘
であるべきだと思う。ここらでいいか、って妥協点はあるべきじゃないと思う。
□
もちろん自分も含めての話なんだけど、どうしてこんなにシーンはオタクく
さくなってしまったんだろう。もう一般人に話が全く通用しない。それどころ
か、はっきりと厭われている。この事も、今さらなんだけどさ…。
あの頃の「モーヲタ」って響きは今とは違って聞こえてたと思う。
それはもっと新しいもので、かっこいいもので、でもそれでいてやっぱちょっ
と情けないもので、でもその収まりの悪ささえが心地よかった。むしろ、情け
ないと見られるだろう瞬間に、みんな飛び込みたがってる節さえあった。
その時、僕が見た限りは。
だけど、今ってどこが恰好良いんだ?と思う。どこがポップなんだ?と。
その苛立ちはきっとずっと前から僕の中にあって(もしかしたらみんなにもあっ
たのかも知れない)、その苛立ちによって欠けたものをずっと補完していたのは
、情、人情のようなものだったのかも知れない。だって、僕はずっとずっと、
娘。達と一緒にいる想像ばかりしてきたし、それによって(それだけによって)
安らぎを得てきた。つまり、僕らはきっと愛し合っていたのだ。
ラジオからポップスが途切れるまで、愛し合っていた。
きっと彼女は歌っている自分に恋をしただろうし、歌っている自分に恋をした
人達のことを、もしかしたら僕らを想像しただろう。その瞬間に、ほんの隙間に
生まれたものが恋であるに違いない。僕は、そう思う。だって、そう思わないこ
とには、僕らの関係はあまりに限られている。
でも、その限られた関係の中でどうしてあんなに完璧な風景が見えたのだろう。
そして、どうしてもう完璧な風景は見えなくなってしまったのだろう。
その理由はもうとっくの昔に分かっていることなのだけど、僕の友達も、僕もあ
まりそのことについて言わなくなった。言うのが辛いからだ。いつ、いつだって、
身の回りの何人かの友達しかちゃんと物事を分かっていない。会ったことの無い、
色んな人の思っていることをネットで見られるようになった今でも、それは変わら
ない。
ラジオから音が途切れ、彼女は何を思っただろう。
そしていつか、また音が途切れた時、僕はどうするんだろう。