キッズが終わった
桃子のラストライブを見てそう思わずには居られない。
悲しいというよりも、この自分のちっぽけな人生における、でも掛け替えのない青春の
ようなものが本当に終わってしまったのかも知れないと思う。
家庭の問題が起こり、仕事の問題が起こった。みにちあの解散。ダン・ヒックスの死。
りななんの死。そして℃-uteも解散し、キッズも終わった。友人関係における愉快とは
言い難い出来事もあったし、自分のだらしなさに絶望することも多々あった。
失うことの多い季節だ。
とても苦しかったり、悲しかったりするけれど、今はなぜか絶望は感じない。
桃子の晴れやかな笑顔を見てそう思った。大事な青春を15年間捧げた桃子の笑顔。
15年間全てではないが、僕にもキッズに付随する様々な思いがあり、その想い出を糧に
生きてきた。桃子の最後の言葉は限りなく純粋で、感謝に満ちていた。
その言葉を聞いている間、Berryzに、キッズに関する想い出が泡のように次々と浮かんだ。
桃子と、会場の全員が同じことを考えていた。言葉にできない何かを。
優しい友達と別れた後、泣いてしまった。
想い出だけが自分をかたちづくっている。
桃子があんなに立派にやり遂げたことを、図々しく僕も誇りに思う。
そして生きていかねばならないと思う。
…自信はあまりないけれど。
桃子は、Berryzは、℃-uteは、キッズは勇気を与えてくれた。
失ってしまった記憶の中にも勇気や希望はある。
キッズは僕の中に生きている。
15年間もありがとう。本当にお疲れ様でした。