舞美さんについてのことはまた日記に書こうと思っていたのですけど、問題は解決
した訳でなく、未だ煩悩に悩まされている状態でありまして…。というかアイドルを
追っていて煩悩も何もないんですが(笑)、僕もさすがに同じことを何年も続けて
いると、最近色々と考えるようになりました。
℃-utie Circuit以来、今まで神様のように思っていた存在が急に下界に降臨し
毎週のように目の前で歌い踊り、なおかつ握手までしてくれるというあのイベント
以来、僕は妄想の対象との距離感がつかめなくなり、徐々に精神のバランスを
崩していったような気がします。元々在宅妄想系のヲタで、現場にも行けたら
行くという程度だったので、僕にとってはかなり衝撃的な体験でした。
元々娘。にしてもキッズにしても僕はまるで天上界の存在のように思っていて、
握手会があったとしてもろくに言葉を交わせずに、それでも感激していた訳ですが、
そのような雲の上の存在が自分のことを覚えてくれたり、普通に話してくれたり
することが衝撃的でした。僕はバカみたいに舞い上がって、ほとんどそのことしか
考えなくなりました。そして僕はいつの間にかすっかり「反応厨」になっていまし
た(泣)。目線が来れば喜び、反応がなければ悔しがるだけのようなそんな生き
ものです。
今でも反応厨と言えば反応厨なのですが(苦笑)、音楽やイベントを楽しもうと
思っても常に反応のことが気にかかるようになってしまい、一体自分は何を
やっているんだろうと自己嫌悪にかられることが多くなり、今は無理しないように
そこそこやっています(笑)。
その頃の僕は、たぶん妄想期に自分がメンバーに捧げた感情のようなものを、
反応というかたちの愛(その頃の僕にとって、それは紛れもなく愛でした)で求
めていたのだと思います。その麻薬的な欲望は留まることを知らず限りなく
大きくなっていきました。また、自分と同じような人達への嫉妬というどうしよ
うもない感情も生まれたりしました。
その反応厨期に、僕が最も距離感がつかめなくなったのが舞美さんでした。
僕ははっきり言って狂っていたので、反応がなかったりすると「こんなに好きな
のにどうして…」などと独りよがりな妄想の中で苦しんでいました。反応がない
日々は続き、その妄想は次第により狂った方向へと進んでいきました。僕は
舞美さんを奪われることを毎日のように想像するようになりました。
僕はある意味では絶望していました。
舞美さんをどんなに好きになっても、僕と舞美さんの現実的な関係は何一つ
変わることはない。僕が願うような僕と舞美さんの関係が現実となることは
絶対にない。反応なんていうちっぽけな世界でさえ僕は舞美さんから遠く
離れている。僕は永遠に舞美さんの愛を得られない。
そんな風に僕はネガティブな妄想へと溺れていきました。
舞美さんが僕を嫌っている妄想や、舞美さんが誰かに奪われる妄想ばかり
が湧いてくるのです。こんなにつらいんだったらもう現場に行くのもやめようか、
舞美さんのことを考えるのもやめた方がいいんじゃないかと思いました。
でも、僕はどうしても舞美さんから離れることができませんでした。
そのようなネガティブな妄想が常に意識の底にあったからか、それ以来現場
でのテンションは下がっていったように思います。でも、それが自分を見つめ
直す良いきっかけだったのかもしれません。狂騒を経た絶望の中で、一歩
引いた位置で舞美さんを見る内、僕は段々と昔のことを思い出していきま
した。自分は舞美さんの何に惹かれたのか。どのように好きだったのか…。
結局のところ、舞美さんは何一つ変わってはいませんでした。
僕は、バスツアーやゲキハロで感じたとても親密な空気を思い出しました。
舞美さんはずっと、昔から同じように僕たちを愛してくれていたのです。
僕は彼女を自分の妄想へ取り込めずに苦しんでいただけだったのです。
嗚咽しながら「みんな大好き」と言った舞美さんを見た時、僕はそれを
肌で真実として感じることができました。
この舞美さんに対するある種の宗教的感覚が正しいことなのかどうかは
僕には分かりません。あるいは僕は、一回りして昔の僕に戻っただけなの
かも知れません。でも僕は今、舞美さんと会えることをとても幸せに感じて
います。
お返事になったかどうかわかりませんが、最近そんな風に感じています。
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