部屋がキッズで埋まる
今、狂ったように写真やグッズを買い続けているのかと言えばそれは正確ではなくて、
あとで後悔したくないがために必死でしがみついているだけなのも知れない。
写真本来の可愛さよりも、持っているか持っていないかの方が重要になり、「持っていない」
状態のことを考えると落ち着かなくなり、不安になり、高いお金を注ぎ込んでしまう。写真は
以前より僕に多くのことを語らなくなった。これも正確には、僕がそれを写真だとしか見られ
なくなってしまった。可愛いな、とは思うけどそこで終わり。整理を終えるとアルバムを閉じ
る。なんだか以前よりキッズから遠ざかったような気がする。
単にそのことだけで言えば(無感動になったということだけで言えば)、家で飲むことが少なく
なったからかも知れない。写真を、恋人の写真として見る時間が無くなってしまったからかも
知れない。飲んでいたとしても、ビールやらつまみやらを触った手でアルバムやグッズを汚し
たくない、ましてやこぼしてしまったら目も当てられないという意識が先に立ってしまうから
かも知れない。僕の机が座卓ではなくなって、前より身の回りに色々なものを広げられないか
らかも知れない……と書いていたらなんだか本当にそんな気がしてきた。
全部環境が悪いんだ!環境を変えろ、環境を変えろ、環境を変えろ……。
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虚無から抜けだそうと僕も色々とやってみてはいるのだけど、なかなかうまく行かない。
色々やっているその瞬間瞬間に得られる機微のようなものを、家に帰った途端に全て忘れて
しまう。陽の下で感じた雅ちゃんのイメージを、しみハムのイメージを、めーぐるのイメージ
を、舞美さんのイメージを、サッキーのイメージを忘れてしまう。
なんだか頭に常にもやがかかっていて、取れないような気がする。
それでもネガティブなイメージには常に鋭敏で、しみハムが誰か男とつきあっているんじゃな
いかと妄想したり、俺は雅ちゃんのような子とは一生わかりあえないと絶望したり、ある日突
然キッズがいなくなってしまうんじゃないかと怯えたり、そんなことばかり繰り返している。
ネガティブなイメージは、僕の性的世界を常に覆っている。
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それでもこの間YさんにBerryzの話を聞いた時、やっぱり梨沙子は梨沙子だし、友理ちゃんは
友理ちゃんなんだなぁ…と思って少し安心した。安心したのと同時に、泣きたくなった。なぜ
だか分からないのに泣きたくなることも増えた。梨沙子の膝に顔を伏せて、いつまでもいつま
でも声を上げて泣き続けたい、そんな気持ちになる。僕は梨沙子の涙と体温と鼓動を想像する。
僕は今、何よりもそういうものを求めているのだろうと思う。実感を得たいのだと思う。
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しかし、それは得られない。
しかし、それは昔からそうだったのだし、これからも変わることはないだろう。
僕は、僕なりにこの状況をどうにかするしかないのだ。がっかりする位に当たり前の話だけど。
…などと言いつつ僕は久しぶりにじわりと心地よい酔いに包まれ始めている。
部屋にはボブ・ドロウが流れ、僕はワインを飲み、梨沙子の文化祭写真を眺めている。
ああ、この感覚だ…。