と思ったら友人経由で読んでいる友人を知り、少し嬉しかった。
最早この日記は誰も読んでいないと思っていた。
この日記は、|〜2000年の音楽日記の頃、それと前後して2004年までのモーニング娘。日記の頃、
2004年からのキッズ日記の頃、2011年の脱ハロ〜廃人期と雑に分けられるのではないかと思って
いる。この間、音楽日記からの友人と飲んでとても楽しかったが、それから20年経ったとはとても
思えない。お互いに何も変わっていないように思えた。しかし、アイドルヲタとしての自分は大きく
変わったのかも知れない。
最近、ふとしたことから古くからのアイドルヲタの友人のまとまった文章を読む機会があった(あま
りにもその量が膨大なので未だ全て読んではいない)。彼がこの時期にそのようなクロニクルを形に
したこと、残すことについて深く感じるものがあった。
自分にとって大事だけど語らないこと。語れないこと。語りたくないこと。それなりに色々ある。
誰を愛しており、誰を愛していないなどと言いたくはないし、しかし、未だ有線などで流れる曲を
耳にすると、例えようのないその頃の気持ちに戻り、しかし何ができるわけでもなく日常に戻る。
あるいはKとキッズ時代のバカ話をする。日常において実はハロプロのことを思い出す頻度は高い。
ただ、こんな精神状態でもあるし、現場などに戻ることは今はできない。
みにちあ時代、あるいはキャンzoo時代のような自分にとって神話的時代の思い出があまりに大きく
それを思い出すことしかできない。もう解散から7年以上経つのに、未だに何の意味もなく名前を
呼んでしまう。普段の生活にあの子達が居たことなんてないのに。
コンカフェに通うようになってから、SNSでりんちゃんと同じ名前の勤務している子を見つけた。
顔はほぼ似ていなかった。ただ写真に映るポーズがそれっぽかった。それだけで、僕はこの子は
りんちゃんなのではないかと思ってしまった。Kに否定され、自分でも違うとは思っていても、
この子はりんちゃんなのではないかという思いを、妄想をなぜか捨てたくないでいる。別にリプ
も何もせず、favをたまにしているだけなので、別にいいのではないかと思う。
るのちゃんが生まれた宇都宮に行くことももうないかも知れない。
仕事を辞めるかも知れないし辞めないかも知れない。しかし、辞めなかったところで自分に何が
できると言うのか。無駄に傷つきやすい心(おっさん)を必死に守りながら、慣れない作業をして
ミスをして叱責されるだけではないのか。
つまり、人が好きというより、この人と一緒に居たくないという気持ちを存分に味わった
数年間だった。その人から解放されればどうでもいい。そのような状態からこのような病気に
なったと勝手に推測する。しかも反復しているので、同じ環境ではどうしようもなさそうだ。
辞めるしかなさそうだが、何をする気にもなれない。この年になって、こんなことになるとは。
でも、睡眠導入剤を飲んでも夢を沢山見ることが分かった。
一日分割で10時間以上寝ているけど、その時に見る夢は楽しみだ。
最近はなぜかゆづきちゃん(出て欲しい)、るのちゃん(出て欲しい)…
なぜかりんちゃん(不安)は出てこない。
…りんちゃん、お好きな時に。
ゾンビーズ大好き。