℃-ute動画を再生すると激しく鬱に陥る。
当たり前の話なんだけど、当たり前のことに気づかない。気づかないから再生
してしまう。チャットで「心中」という単語が出て、心中してくれそうなメン
バーを想像したら、めーぐると桃子だった。
「傷が癒える」という表現があるが、何かそれも違うような気がする。
傷は一生癒えることなどなく、ただそれを忘れているだけのような気がする。
本当に傷が癒えるのだとしたら、それは現実的に彼女が戻ってきてくれること
以外に有り得ない。いや、そんなことは当たり前のことで、人々は忘れると
いう行為をただそう表現しているのかも知れない。きっとそうなんだろう。
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品川ステラボールのイベントでは、何人かの友人が、あまりにもめーぐるを
「居なかったもの」として進行する空気を悲しんでいた。僕もそう思ったが、
悲しんでいる暇など無いメンバーを目の前には何も言えなかったし、何もで
きなかった。何事にも建前というものはあるし、僕ら以上に悲しい気持ちを
背負っている子が本当の気持ちを噛み殺して頑張っているのだから、それを
汲んであげない訳にはいかないと思った。
しかし、それと同時に僕は彼らの気持ちも痛いほど良く理解できた。
どんなに酷い別れだったとしても、僕らは墓場を作らなければやっていけない。
愛したものとの別れを、自分の気持ちをそこに埋めなければ忘れられない。
しかし、現実のサイクルはいつものように気持ちなんて関係なく、非情に全て
を飲み込んでいく。
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僕も年を取って非情さや狡猾さを身につけた。
しかし、汚い資質を身につければ身につけるほど、彼女達に惹かれていく。
彼女達との記憶を愛おしく思う。僕らと彼女達の関係においては、最終的に
存在するものは記憶しかない。
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「みんな大好き」という言葉には、彼女達が胸に抱く美しいイメージがある。
そしてそれは多分、まだほんの少し、僕ら側へも向けられている。そしてまた、
僕らにもまた彼女達へ抱く美しいイメージがある。
永遠の孤独の中で、でも、一瞬の記憶の中で愛し合っている。
僕とめーぐるは愛し合っている。
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